Photo Gallery Hasegawa 別館

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冬に逆戻り

朝から風が冷たく日差しはあるものの寒い一日でした。
明日は今日よりも寒くなるとの予報が出ています。
上田では24・25日の最低気温がマイナス3度で、金曜日までマイナスの気温が続くとか。
「暑さ寒さも彼岸まで」の諺はいずこに・・・
  1. 2015/03/23(月) 20:41:52|
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いよいよ春

この頃、めっきり春めいてきて、庭先や畑にも青い草が目立つようになりました。
畑で農作業をする人の姿も見受けられます。
暑さ寒さも彼岸まで。
そろそろ農作業の準備に入らないと・・・
  1. 2015/03/15(日) 22:19:21|
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裁判(続き)

裁判所に提出された相手側の陳述書を事前に読んでみると、事故は1件なのに違う事故のように思える内容でした。
今回は交通事故で、過失割合も最初からほぼ決まっていたようなものであの程度の反対尋問で済みましたが、それでも少しでも矛盾点があると、予想していない質問をしてきました。
最終的には相手側弁護士から和解の提案が出されましたが、私側の保険会社からの依頼で日を改めて協議することになりました。
最後に裁判官は、状況が変わっても過失割合は変わることはないと明言していました。
判決日は4月8日と決まりました。
  1. 2015/03/14(土) 23:02:34|
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初裁判

本日人生で初めて裁判なるものを受けてきました。
といっても悪いことをしたわけではありません。
交通事故がらみで被害者と加害者の立場です。
ことの発端は、昨年の5月30日に、右折してきた相手の車と私の車が衝突しただけ?の些細な事故でした。
警察に事故証明を発行してもらい、双方の保険で解決して一件落着。
の予定でしたが、相手が自分の過失割合に納得せず、私が支払った自車の修理代の立替分を含めた支払いを一切拒んだことから、保険会社を通じて少額訴訟裁判を起こしました。(費用は保険会社持ち)
この時点では私が原告で相手が被告でした。
これでも終わらず、相手が本裁判に移行するというので、今度は相手の保険会社が原告となり、私が被告で訴えられました。
今までに手続きを含めて3回行っていますが、5分とかからず終わっていましたが、今回は正式な裁判でしたので、時間も長く、緊張して疲れました。
時間の経つのが早く感じられ、終わってみれば2時間ほどが過ぎていました。
(続きは後日)
  1. 2015/03/11(水) 22:28:07|
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【3.11震災から4年】いま考える、生き延びた人の"5つの共通点"とは!?

あの日から今日で4年が過ぎましたが、未だに不明となっている方も多く、親兄弟、配偶者、子供を失った人、無事であっても住み慣れた故郷を追われた人等の心痛は察するにあまりあります。
復興は進んでいるとの発表はありますが、実際にはまだ道遠しの感がします。

そんな中、昨日インターネット上に気になる記事を見つけましたので紹介しておきます。

2011年3月11日に発生した東日本大震災から、4年が過ぎようとしている。M9.0の巨大地震と、それに伴う大津波による犠牲者は15,800人を上回り、死因の90%ほどが津波による水死と圧倒的に多く、地震による圧死・損傷死は約4.2%、火災による焼死は約1%だった。この未曾有の大災害から命を取り留めた人々の体験談を読むと、いくつかの重要なポイントが浮かび上がってくる。改めて震災への備えを確認し、"その時"に取るべき行動を考える意味でも、今回はそれらをまとめて紹介することにしたい。(以下省略)

■伝承を重視した人々
・ 津波てんでんこ 三陸地方には、「津波てんでんこ」という言い伝えがある。「津波はあっという間に襲ってくるから、とにかくてんでんこ(てんでんばらばら)に逃げろ」という意味だ。この言葉は、1990年に岩手県宮古市で開催された第1回「全国沿岸市町村津波サミット」で、津波災害史研究家である山下文男氏が提唱し、サミットの標語にもなった。

 この標語は一見、「自分のことを真っ先に考えて、他人はどうでもいいから、とにかく高台へ逃げろ」というように、いささかエゴイスティックな意味合いに取られやすい。だが、「まず自分の見の安全を確保してから、他人のことを考えろ」という意味だと筆者は解釈している。

 前述の「釜石の奇跡」では、釜石東中学校の副校長が、校庭へと避難し始めた生徒たちに向かって「(避難所へ)走れ!」「点呼などとらなくていいから」と大声で叫んだという。そして、ほとんどの生徒たちは約700m離れた避難所へ逃れて無事だった。これもまさに「津波てんでんこ」の共通認識が成し得た結果だと言えるだろう。また、津波発生時の映像には、すぐ背後に津波が到達しているにもかかわらず、何度も後ろを振り向きながら避難する人々の様子が記録されている。推測するに、家族など身近な人々の安否を気遣いながらの行動だろうが、その後本人たちが助かったかどうかは定かではない。このような映像を見ると、やはり「津波てんでんこ」の大切さを実感させられる。

・ 神社の歴史、そして石碑 過去に何度も津波の被害を受けてきた地域には、「津波が来たら神社へ逃げろ」という言い伝えが残されている場合が多い。津波が起きる度に、より高台へと遷座し、結果的に過去にその地域で起きたもっとも大きな津波でも被害を受けない場所に落ち着くためだ。東日本大震災の津波発生時、この伝承を思い出して神社へと逃げ、救われた人々がいた。

 仙台市若林区の波分(なみわけ)神社もその一つで、9世紀の「貞観地震」(M8.3)で発生した津波では、現在この神社があるところまで津波が達し、その事実を後世へ伝えるために当地に神社が建立されたという。ちなみに東日本大震災の津波では、津波は神社まで達しなかった。

© TOCANA 提供
 また、岩手県宮古市姉由地区では、伝承のみならず「此処より下に家を建てるな」という石碑が残されており、住民たちは海抜60mより低い場所に家を建てなかったため、東日本大震災で1人の犠牲者も出なかった。同様の石碑は全国各地にあるにもかかわらず、風化したり無視されたりしていることも少なくない。

 以上、紹介してきたケースをまとめると、大震災の難を逃れた人々には、以下のような共通点があると言えるだろう。

1. (学校や家庭で)防災訓練などの備えを怠らなかった
2. (学校や家庭で)指導的立場の人間による適切な判断があった
3. 予測・予言の類に日頃から注意を払っていた
4. まず自分の身の安全を確保してから、他の人々などのことを考えた
5. 地域に伝わる伝承類を重視していた

 地震の揺れの場合、突然襲ってくるために逃れることが困難な場合も多いが、津波の場合は発生までにタイムラグがあり、避難するかどうかは「気持ちの問題」である場合が多い。上記のような教訓を肝に銘じて、いつ発生してもおかしくないとされる首都直下地震などの大災害に備えたいものだ。

(文=百瀬直也)
  1. 2015/03/11(水) 22:02:37|
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